こころの病気と食べ物と。 本や雑記の山。

目覚ましの鳴らない朝

おいしかった。

5月31日夕飯


久しぶりにごはん日記。
今日のお夕飯です。なんだかわかるかな?

上が「葉付きにんじんとほそパラガスのごま油炒め」(命名自分)
下が「ピーチかぶのサラダ」
あとは写ってないけどごはん(胚芽米100%)

これがおいしかったというか、結構不安で作り始めたのですよ。
今日はおやさいが届く日なので、何が来るかな、何が来るかな…(もちろん注文は自分でしてるけど、知らない野菜とかあるし)と楽しみに待ってました。
最近、土曜日の午前中が待ち遠しい。くろねこねこさんのお兄ちゃんありがとう!(いつも重いのさ)

で、まず今回頼んだリストを眺めていて、家から出ないで(←)作れるものないかなーって考えてました。
既成のレシピではありえない野菜が多いので(珍しい野菜が結構ある)、どうしようかなーとごろごろ(今日は部屋の片付けで疲れてる)

とにかく今回メインで注文したのは「葉付きにんじん」と「ピーチかぶ」だからまずそれから行こう!ってことで、どうやって料理しようかしばらく考えていたらいつの間にかちょっと寝てて、荷物の集荷に来た兄ちゃんに起こされた(笑)

とりあえず、「ピーチかぶ」というのはあまり栽培されていないもので、生でかじると甘くておいしいらしい。あっためて食べてもいいけどそれだと溶けちゃうらしい…ということで、「生」に決定。いっそのことだからかじりついてやろうかと(そういう写真があった)思ったけど、上のように大根みたいになった。

で、葉付きにんじん。
昔から「葉付き」に弱い私。
大根の葉っぱ大好きだし、かぶもほんとは葉っぱが付いていたから食べられるんだと思ってたけど、食べるのは実だけだと書いてあるのを見て残念がってた。
しかし、にんじんの葉は食べた事がない。大根だったらよく実家で炒めてごはんにかけたりしておいしかったのを覚えてるけど、にんじんの葉ってどうしたら…。
まあ、ちょこっと炒めてみようという結論に。

次に困ったのが「ほそパラガス」。
これってアスパラガスの中でも細めにできちゃったやつを集めたもので、ゆでやすく食べやすいのが売り。しかし、それを炒めていいものかどうか…。
ゆでやすいのなら火が通りやすいのだろうと勝手に判断。

さて、「葉付きにんじんとほそパラガスのごま油炒め」ですが、困った時はごま油で作れば外れはないと思っているくらいのごま油好きなので、まずごま油。その後細く切ったにんじんとほそパラガスの固そうなとこを炒める。にんじんは油と一緒だとカロテンが効率よく吸収されるんだよーとか思いつつ、少しオレンジになるごま油を見て、このくらいでいいかなーって頃にほそパラガスの穂の部分を投入。結構火のまわりがよくなってきたので、もうついでににんじんの葉(やわらかそうなとこだけ手で摘んだやつ)を投入。適当にしんなりするまで炒めて、塩を少々。迷った末にほんだし少々。
味は…味見しないでそのまま(苦笑)
見た目はほら、おいしそうでしょ? 緑黄色野菜満点ですって感じで。

ピーチかぶはご覧の通り切っただけ。らくちん。

さて、頂きました。
ピーチかぶがジューシーでおいしかった。甘くて果物食べてるみたいだった。まだもう1個あるんだけど、間食にしてもいいくらい。
さて、問題の自分レシピの出来は…おお、おいしい!
自分で言うのも何ですが、おいしかったよ!
よかったぁ。まずくて食べられなかったらどうしようかと思っていたのだけれど。にんじんとほそパラガスが絶妙にごま油に合っていました。
さすがごま油様。にんじんの葉は、んー、なんとか食べられるかなぁ。多分、天ぷらにしたらおいしんだろうけどなぁって感じでした。

(ベジなんだけど、ほんだしはまだ残りがあるから使ってます)

大満足でごちそうさま。
明日はきっと小松菜の登場だと思います。

夢。

はじめに、今日という日にこの日記を書く事を許してね(私信)>Yちゃん


今日は私にとって2番目(かなぁ?)に大事な日です。
沖田総司の命日。
私は新撰組が好きで、特に土方歳三さんは大好きなのですが、とある交流で「現代の私の土方さん」まで作ってしまっているという痛い子です(苦笑)
その「私の土方さん」に「お前は俺の考える沖田に似ているなぁ」って言われたのが元で、本来沖田さんに惹かれている部分があったのですが、もっと身近になったというか、自分のことのように思えてきちゃったんです。境遇というかそういうのも含め。自意識過剰なんですけどね。
だから、今日は大事な日。

昔、私の土方さんになぜ土方歳三さんに惹かれるのかと書いたことがあります。
以下、そのメールの抜粋。

『私はずっと長子として親の期待に沿うように、自分を押し殺してまでも過ごしてきました。それで自分が分からなくなって、結果的には病気になりました。
 「自分」がない私とって、周りの事を気にしすぎて動けなくなる私にとって、「土方歳三」という人はものすごくエネルギーのある人に思えたんですよ。「自分」が確立していて、でも時々やはり人間だから悩みもあるけれど、それを決して後ろ向きに考えずにいつも前に進もうとしていた。史実の土方さんが本当はどうだったかは誰も分からないとは思いますが、でも当時の箱館(函館)まで行って、戦って戦って亡くなったというのは事実ですから。当時の箱館って今の宇宙みたいなものなんじゃないかなとか、そのくらい未知のものだった思います。そこまでして自分の「思い」を貫いた。それに私はすごく惹かれているのだろうなと、憧れてしかたないのだろうなと思います。』
『それと、長女で一番目の子供だった私はずっと「兄」というものに憧れていたのですね。何でも頼りにしても受け止めてくれる、そういう存在を土方さんに見ているような気がします。』

だから土方さんは別格。史実の土方さんも私の土方さんも。
そして沖田なのですが、これも土方さん宛のメールから抜粋。今もこの気持ちは変わっていません。

『沖田さんにはどうしても自分を投影してしまう。もちろん、私は沖田のような天才でもなく、死の病でもありませんが、状況的には似た時があったから。そして病気により、自分が描いてきた未来というものが崩れていったということをきっと彼も経験し、それを乗り越えて生きていただろうから。そこに私が沖田さんに惹かれる理由があります。』

沖田さんは最期の最期まで「笑っていた」そうです。それは私も同じです。

『私はうつ病で倒れる直前まで「笑っていた」そうです。だから翌日に休んでも皆不思議がらず、「風邪を引いた」という理由を最初は付けていたのですが
、誰も疑いませんでした。そして「うつ病で当分復帰できない」ということを知らせたら、病気のことを知る事のできる地位の上司たちは「あの藤原が…」と思われたみたいです。
確かに私は今もですが、表に感情を出しにくいんですよね。だから笑みで隠してしまう。よくないことだと思っていても笑っていると周りも安心してくれますし、自分の本心を出さずにすむ。そして思わず「大丈夫です」と言っている。内心全然大丈夫じゃないのを分かっているのに。』
『自分が描いてきた未来。それが今の体とこころでは遠い夢になってしまった。それで私は復帰後に同じ職場で違う存在意義を求めようとした。
そんな時に沖田総司の存在を知った。
ああ、この人は私よりも大変だけれど、似た思いを抱えて最期まで必死に生きたに違いない。勝手ながらそう思って大好きになりました。
総司は剣をきわめたかったでしょう。私は今の仕事をきわめたかった。
でもあの日、病気になった時に昔の私はいなくなりました。
今は今の私でできることをやっていければいい。
うつ病という友だちと一緒に、やれることをやっていきたい。それが昔描いた夢とは違う形となってしまうとしても。私は「今の私」を受け入れて、自分の夢をかなえていきたい。』

沖田総司は結核で今日(ホントは旧暦)で一人で亡くなりました。
生前、人と関わるのが大好きだった人が一人で。
どんなにさみしかっただろう、悔しかっただろうと思います。まだ年も若かったですし。

沖田総司というと池田屋で喀血してそれで労咳(結核)だと皆に知れて、それからすぐに亡くなるような描写されてますけど、あれ、違うそうですよ。
ついでに言うと、土方さんと仲良しだったっぽい小説が多いですが、それも違うようです。
実際の沖田さんと土方さんの関係は分かりませんし、本人たちが今の創作物を見たら大笑いするか怒るかのどっちかだと思うんですが(笑)

沖田さんへ。
私の体の病はおそらく大丈夫でしょう。ただ、こころの病は一生背負っていくものになる覚悟はしています。その時にふと「死」に憧れてしまうことがあるので、その時には「私の土方さん」に助けてもらうようにします。
そして、あなたよりも既にもう長く生きていますが、もっともっと長く生きて、自分がきわめたいこと、やりたいことを貫きたいと思います。
幸い、私にはあなたの近藤先生や山南さんみたいな方がまわりにいるので、何とかなると思います。
土方さんは…おそらくもうこの世にはみえないのだと思います(勝手に殺すなという声が聴こえるw)でも、私の心の中でいつも私を叱咤激励してくれていますから。
それに、私は一人ではないですから。
だから沖田さん。安らかに…。



人の誕生日に何書いてんだか私は。ごめんよー、Yちゃん。

雨が降る。

眠れない日が続いています。
布団にはいる直前までは「あー、そろそろ寝よ」って思うような眠気があるというのに、布団に入って寝ようとすると頭が休まってくれず、あーでもないこーでもないことを考え始めてしまう。
考えだすと今度はそれをやめようとするのだけれど、それは逆効果で気づくと「明日は何しよう」「ああ、あの仕事やってから倒れればよかった」「この痛いの大丈夫かな」「何で寝れないのかな」「さみしいな」…脳内フル回転じゃないかというくらいにいろいろな考えが出てきてしまう。

瞑想状態みたいになれたらよいと思うのだけれど。無心というか。
そういうものには全然なれなくて、頭がフル回転するばかり。

しかもそれが薬を飲んでいるのにも関わらず生じているから問題だ。
今日も主治医に「寝れません。寝ようと思っても2時間寝れないので困りました」と伝えて、薬を変えてもらった。
もちろん、不眠の原因は1つではないので、薬で解決できるのは少しの部分だけだが、でも助けにはなる。実際、以前不眠で大変だった時には薬で楽に寝れるようになっていたのに、今回は何でこんなにも酷いのか分からない。

そして、今も強くなってきているけれど困るのが「雨」。

苦手なんです。雨音が。

無意識に怖いというそういうイメージがあるようで、普段寝れているときでさえ、雨音で起きてしまうことがあった。
だから今日は不安。
新しいお薬はあるけれど、でも雨がそれを妨害してくるかもしれない。

雨は見ているのは好きなんです。
ただ、夜のこの音だけはダメ。
理由は分かっているけれど、もう大昔のトラウマで、どうしようもない気がする。

昼間の雨音はいいのにな。
ブラームスの「雨の歌」っていうバイオリンの曲は好きなのにな(雨音関係ないけど)

雨は生命の源だから降ってもらわないと困るんだけど、でもこの寝れないのと憂鬱感が出るのだけは嫌だなぁ。
嫌と言っても自然現象だから仕方ないんだけど。

雨音も感じないくらい深い睡眠ができたらと、思いつつ、布団に入ります。
PROFILE

藤原 湊

  • 作者:藤原 湊
  • こころの病気をいろいろ経験してきました。
    うつ病治療中。
    2回目の休職の後、リハビリ出勤中。
    ラクト・オボ・ベジタリアンです。
    副業で作家志望。
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