明日から。 |
[ 2008/06/30 ]
リハビリ出勤開始です。
前回うつで休職した時が6ヶ月の休養。
今回は早めに休職したため、2回目でもあることと不眠が主な症状だったということもあり、2ヶ月で何とか戻れそうです。本格的には8月からになりますが。
この2ヶ月でいろいろ考えました。
最初の1週間は「死にたい」がまだ離れなくて、生きているのが不思議でならなかった。
でもその後、偶然「生と死」を考える出来事が起きて、私は自分の職業柄の本能と、元来の性格で自分の「死にたい」がどこかに行ってしまった。とにかく、自分のことは後でいいからなんとかしたいと。その思いでいっぱいで、気づけば私は薬の効果もあるだろうけれど「生きる」ことにまた意味を見いだしていた。
そうだ、私にはまだできることがある、というそういう意味を。
あとはもう不眠だけ。それさえ何とかなれば復帰できるという状態になれたのが、今回の復帰が異常に早くなった要因でしょう。
それと騒音(笑)
隣で工事をしているので自宅療養が困難になって、それで職場に逃げることにしたんですよ。それもまあ、成り行きで良い方向に進んでいるからいいんだろうと、流れに乗ってます。実際、まだ完全には不眠から脱していないし、薬も増えたままだし。
けれど、リハビリとはいえ職場に戻れるのは嬉しいこと。
早ければ8月には本復帰しますから。そうしたら、また皆のために動ける。
うつになりやすい人は「人のためになること」が好きな人が多いです。私もその傾向があって、自己犠牲精神旺盛なんですが、最近それを少し見直しています。自己犠牲してまで相手に尽くしても相手は喜んでくれるのだろうかと。そこまでされたら逆に困るんじゃないかと。自分が相手だったら確かに「そこまでしないでもいいよ」って言うと思うなと思って、どこまで手を出すかを考えるようになりました。
ただ、一番いけないのは中途半端になること。
それは相手も自分も不幸になるから。
それだけはしない。
そう思いつつ、寝ます。
眠剤やっと効いてきたかな。いつもより早く飲んだから、何となく効きがいまいちな気がする。
前回うつで休職した時が6ヶ月の休養。
今回は早めに休職したため、2回目でもあることと不眠が主な症状だったということもあり、2ヶ月で何とか戻れそうです。本格的には8月からになりますが。
この2ヶ月でいろいろ考えました。
最初の1週間は「死にたい」がまだ離れなくて、生きているのが不思議でならなかった。
でもその後、偶然「生と死」を考える出来事が起きて、私は自分の職業柄の本能と、元来の性格で自分の「死にたい」がどこかに行ってしまった。とにかく、自分のことは後でいいからなんとかしたいと。その思いでいっぱいで、気づけば私は薬の効果もあるだろうけれど「生きる」ことにまた意味を見いだしていた。
そうだ、私にはまだできることがある、というそういう意味を。
あとはもう不眠だけ。それさえ何とかなれば復帰できるという状態になれたのが、今回の復帰が異常に早くなった要因でしょう。
それと騒音(笑)
隣で工事をしているので自宅療養が困難になって、それで職場に逃げることにしたんですよ。それもまあ、成り行きで良い方向に進んでいるからいいんだろうと、流れに乗ってます。実際、まだ完全には不眠から脱していないし、薬も増えたままだし。
けれど、リハビリとはいえ職場に戻れるのは嬉しいこと。
早ければ8月には本復帰しますから。そうしたら、また皆のために動ける。
うつになりやすい人は「人のためになること」が好きな人が多いです。私もその傾向があって、自己犠牲精神旺盛なんですが、最近それを少し見直しています。自己犠牲してまで相手に尽くしても相手は喜んでくれるのだろうかと。そこまでされたら逆に困るんじゃないかと。自分が相手だったら確かに「そこまでしないでもいいよ」って言うと思うなと思って、どこまで手を出すかを考えるようになりました。
ただ、一番いけないのは中途半端になること。
それは相手も自分も不幸になるから。
それだけはしない。
そう思いつつ、寝ます。
眠剤やっと効いてきたかな。いつもより早く飲んだから、何となく効きがいまいちな気がする。

友のちから。 |
[ 2008/06/23 ]
土曜日には死にたいとか言っていたくせに、あっさりとこころの海の底から上がってきて明日にはセールにでも行こうかと思っている自分がある意味すごいような気がしてきた。
理由は単純だ。
ひとりではない。
それを思い出させてくれた友人がいたから。
ほら、私にはまだ心配してくれる人がいるじゃないか。
何もそこまで落っこちて悩んでいることはないじゃないか。
そんなマイナス思考が一気にプラス思考になるようなすごい力。
それが「友のちから」。
離れていても、会った事がなくても。それでもお互いのこころをさらけ出してきた中だからできること。
今日受診しようかと思っていたけれどやめてしまった。
上司からのメールも、もう少し待とうと思う。返信のある可能性は低いが。
そのくらいのこころの余裕ができた。
ありがとう。
理由は単純だ。
ひとりではない。
それを思い出させてくれた友人がいたから。
ほら、私にはまだ心配してくれる人がいるじゃないか。
何もそこまで落っこちて悩んでいることはないじゃないか。
そんなマイナス思考が一気にプラス思考になるようなすごい力。
それが「友のちから」。
離れていても、会った事がなくても。それでもお互いのこころをさらけ出してきた中だからできること。
今日受診しようかと思っていたけれどやめてしまった。
上司からのメールも、もう少し待とうと思う。返信のある可能性は低いが。
そのくらいのこころの余裕ができた。
ありがとう。

寂。 |
[ 2008/06/21 ]
こういう日に限って土曜日だ。
鬱の再発をした日も祝日で。夜中に「死にたい」とばかり思っていた。
今日はそこまで考えていないと言うと嘘になるが、思っても実行に移す気力はない。もし今目の前に殺人者が現れたら、きっと抵抗せずに命を差し出してしまうかもしれないという感じ。
この間「孤独」という記事を書いたのは夜の21時以降の話だった。
今日はまだ19時だ。もっと前から落ち込んでいるから、この間よりは重症だ。
世界が寂しく見える。
ニュースを見たり、いろいろなサイトを回ったりすることはできても、それがとても寂しいものに見えるのは何故だろうか。
10年前はこんなじゃなかった。ひとりでいても、世界が寂しいだなんて思わなかった。何より、ひとりでいても孤独なんて思わなかった。
実際、今も孤独ではないはずなのだ。
先ほども母から電話があって話をしたし、今日も歯科に通って先生と話をした。
誰かとはつながっている。
けれど。
7月初旬にできたら復職しようと思って上司に連絡を入れた。毎週送っているメールで、その返信はいつも翌日か翌々日には来る。それが今週は来なかった。
忙しいのかもしれない。休みを取っているのかもしれない。ただ忘れているだけなのかもしれない。
しかし、いつもの病状報告よりも大事なこと、「復帰」について書いたメールだから、私もいつもよりも少し気を遣って書いた。それの返信がないのはイコール戻らなくていいということでは決して無いはずだが、マイナス思考の頭の中では職場で忘れられた存在なのではないかと疑ってしまう。
そしてそれで落ち込む。メールを確認するたびに、新着メールがないと、半分諦めているものの、矢張り辛い。寂しい。
友人とメールをしていた。相手は仕事で忙しいから、返信は1日に2回程度でいいよと約束して。彼女は会った事もない人。いわゆるメル友。しかし、私のこころの病気のことや身体の病気のことは知っている。顔を知っている友人たちよりも、もっと私のこころの闇を知っている。
その彼女からも返信が来なくなった。昨日の夜におやすみというメールを送ってから、今日は返信がない。休みなのだろう。疲れているのだろうと思うのだが、どうしても期待してしまう。彼女に頼っている自分がいるから。結局寂しくて、最終的に彼女にメールをしたのは自分だから。
だから、返信がないのが寂しい。もう、メールは来ないのだろうか。
他にもいろいろなことが寂しさを増す。
寂しさは人を殺せると思う。こんなに寂しいと、人は衰弱してしまうと思う。
実際、今夜は食欲もなく、夕食は食べられない。
こういう時は寝てしまうのが一番なのだが、夜寝るのが困難な自分はどうしたらいい?
その答えをもらいに受診しようにも、明日は日曜日だ。明後日まで待たないといけない。
仕事の夢を見る。
人とたくさん話している自分。
本当は人の間に居るのが好きなのに、ここでこうしてひとりで居るのがやっぱりいけないんだろうか。
でも、こんな状況で復職できるのだろうか。
いろいろな歯車がずれて。戻ったかのように見えてもまたずれて。
狂えない私はその境界線の上で行ったり来たりして。
あっちの世界に行ってはいけないと、そう本能がきっと思っているのだろう。
いくら望んでも、そうなれないのだから。
鬱の再発をした日も祝日で。夜中に「死にたい」とばかり思っていた。
今日はそこまで考えていないと言うと嘘になるが、思っても実行に移す気力はない。もし今目の前に殺人者が現れたら、きっと抵抗せずに命を差し出してしまうかもしれないという感じ。
この間「孤独」という記事を書いたのは夜の21時以降の話だった。
今日はまだ19時だ。もっと前から落ち込んでいるから、この間よりは重症だ。
世界が寂しく見える。
ニュースを見たり、いろいろなサイトを回ったりすることはできても、それがとても寂しいものに見えるのは何故だろうか。
10年前はこんなじゃなかった。ひとりでいても、世界が寂しいだなんて思わなかった。何より、ひとりでいても孤独なんて思わなかった。
実際、今も孤独ではないはずなのだ。
先ほども母から電話があって話をしたし、今日も歯科に通って先生と話をした。
誰かとはつながっている。
けれど。
7月初旬にできたら復職しようと思って上司に連絡を入れた。毎週送っているメールで、その返信はいつも翌日か翌々日には来る。それが今週は来なかった。
忙しいのかもしれない。休みを取っているのかもしれない。ただ忘れているだけなのかもしれない。
しかし、いつもの病状報告よりも大事なこと、「復帰」について書いたメールだから、私もいつもよりも少し気を遣って書いた。それの返信がないのはイコール戻らなくていいということでは決して無いはずだが、マイナス思考の頭の中では職場で忘れられた存在なのではないかと疑ってしまう。
そしてそれで落ち込む。メールを確認するたびに、新着メールがないと、半分諦めているものの、矢張り辛い。寂しい。
友人とメールをしていた。相手は仕事で忙しいから、返信は1日に2回程度でいいよと約束して。彼女は会った事もない人。いわゆるメル友。しかし、私のこころの病気のことや身体の病気のことは知っている。顔を知っている友人たちよりも、もっと私のこころの闇を知っている。
その彼女からも返信が来なくなった。昨日の夜におやすみというメールを送ってから、今日は返信がない。休みなのだろう。疲れているのだろうと思うのだが、どうしても期待してしまう。彼女に頼っている自分がいるから。結局寂しくて、最終的に彼女にメールをしたのは自分だから。
だから、返信がないのが寂しい。もう、メールは来ないのだろうか。
他にもいろいろなことが寂しさを増す。
寂しさは人を殺せると思う。こんなに寂しいと、人は衰弱してしまうと思う。
実際、今夜は食欲もなく、夕食は食べられない。
こういう時は寝てしまうのが一番なのだが、夜寝るのが困難な自分はどうしたらいい?
その答えをもらいに受診しようにも、明日は日曜日だ。明後日まで待たないといけない。
仕事の夢を見る。
人とたくさん話している自分。
本当は人の間に居るのが好きなのに、ここでこうしてひとりで居るのがやっぱりいけないんだろうか。
でも、こんな状況で復職できるのだろうか。
いろいろな歯車がずれて。戻ったかのように見えてもまたずれて。
狂えない私はその境界線の上で行ったり来たりして。
あっちの世界に行ってはいけないと、そう本能がきっと思っているのだろう。
いくら望んでも、そうなれないのだから。



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